ストックオプションの労務|賃金・社保・就業規則の5つの備え

「ストックオプションを出すことにしたけれど、給与や社会保険はどう扱えばいいのだろう」。KT社労士事務所代表で社会保険労務士の田渕花純です。私は、スタートアップの労務に伴走しています。資金調達の準備が進むなかで、こうした疑問を経営者様から伺う機会が増えてきました。
先にお伝えすると、ストックオプションは原則として労働基準法上の「賃金」に当たりません。行政通達では、利益が出る時期も金額も従業員自身の判断に委ねられるため、労働の対価ではないとされています。
そのため残業代や最低賃金の計算には含めず、社会保険の報酬にも原則として含めない扱いです。一方で、全従業員を対象にした制度なら就業規則への記載が求められ、退職時の失効をめぐる行き違いも起こりがちです。
本記事では、賃金・社会保険・就業規則での扱いを順に確認します。そのうえで、退職時のトラブル例と、社員数名の会社でも取り組める5つの備えをご紹介します。税務の陰に隠れがちな労務の土台づくりに、お役立ていただければ幸いです。
INDEX≡目次
- 1ストックオプションとは|まず押さえたい仕組みと「労務」が関わる場面
- ►新株予約権としての基本|付与・権利行使・株式売却の3つのタイミング
- ►税制適格・税制非適格・有償・信託型|種類の違いは「入口」だけ押さえる
- ►税務・登記は税理士・司法書士、労務は社労士|相談先の役割分担
- 2ストックオプションは「賃金」に当たる?|労働基準法上の扱い
- ►行政通達(平成9年6月1日 基発第412号)の考え方
- ►割増賃金・平均賃金・最低賃金の計算には含めない
- ►「給与を下げてストックオプションで補う」設計に注意が必要な理由
- 3社会保険での扱い|標準報酬月額と保険料への影響
- ►健康保険・厚生年金の「報酬等」との関係
- ►賃金の代わりとして付与する場合は個別の確認を
- ►税制非適格の権利行使で給与所得になる場合の給与計算との連携
- 4就業規則・雇用契約にどう反映する?|書いておきたい4つの項目
- ►全従業員に適用する制度なら就業規則への記載を検討(労働基準法第89条第10号)
- ►雇用契約書・労働条件通知書には「賃金とは別の制度」と明記する
- ►割当契約書と就業規則の「懲戒・退職」の定義をそろえる
- ►求人票・オファーレターで年収に含めて見せない工夫
- 5退職・解雇・M&Aのときに起こりやすい労務トラブル
- ►退職時の失効条項と、本人への説明不足による不信感
- ►懲戒解雇・退職勧奨と権利の失効が結びつく場面
- ►M&A・IPO延期で権利行使できなくなったときの説明
- ►業務委託・副業人材への付与と「労働者性」の確認
- 6社員数名のスタートアップが今日から整えたい5つの備え
- ►備え1|付与の目的と対象者の考え方を言葉にする
- ►備え2|賃金・賞与の制度とは切り分けて設計する
- ►備え3|就業規則・雇用契約書・割当契約書の整合を点検する
- ►備え4|付与時と退職時の説明を「書面+対話」で行う
- ►備え5|付与状況を一覧で管理し、税理士・司法書士と情報を共有する
- ►モデルケース|社員数名のスタートアップが整えた3つの書類
- 7まとめ|ストックオプションの労務で押さえたい3つのこと
- 8ストックオプションの労務、KT社労士事務所と一緒に整えませんか
- ►社労士がお手伝いできる範囲と、税理士・弁護士との連携
- ►スタートアップの労務を「予防」の視点で支えるKT社労士事務所の関わり方
- 9よくあるご質問(FAQ)
- ►Q. ストックオプションは残業代の計算に含める必要がありますか?
- ►Q. ストックオプションを付与したら社会保険料は上がりますか?
- ►Q. 退職した社員のストックオプションはどうなりますか?
- ►Q. 給与を下げる代わりにストックオプションを付与してもよいですか?
- ►Q. ストックオプションの制度は就業規則に書く必要がありますか?
- ►Q. ストックオプションの税金について社労士に相談できますか?
ストックオプションとは|まず押さえたい仕組みと「労務」が関わる場面
ストックオプションとは、あらかじめ決めた価格で自社の株式を取得できる権利のことです。会社法では「新株予約権」と呼ばれ、従業員に付与すると、将来の企業価値の伸びを一緒に分かち合う仕組みになります。税金や登記の話題が中心になりがちですが、雇っている人に渡す以上、労務の整理も欠かせません。
労務面での扱いを先に一覧にすると、次のとおりです。
| 論点 | ストックオプションの扱い(原則) | 根拠・出典 |
|---|---|---|
| 労働基準法上の賃金 | 当たらない(労働の対価ではない) | 平成9年6月1日 基発第412号・労働基準法第11条 |
| 残業代・最低賃金の計算 | 計算の基礎に含めない | 労働基準法第37条・最低賃金法第4条(賃金でないため) |
| 社会保険の報酬等 | 原則として含めない(賃金の代替なら個別確認) | 健康保険法第3条第5項・経済産業省「インセンティブプラン導入の手引」(2023年3月改訂) |
| 就業規則 | 全従業員に適用する制度なら記載事項 | 労働基準法第89条第10号・基発第412号 |
新株予約権としての基本|付与・権利行使・株式売却の3つのタイミング
新株予約権とは、会社に対して行使すると、その会社の株式を受け取れる権利です(会社法第2条第21号)。たとえば、創業期の低い株価で「この価格で買える」という権利を受け取ったとしましょう。会社が成長して株価が上がった後に権利を使えば、その差額が本人の利益として生まれます。
ストックオプションには、大きく3つのタイミングがあります。権利を受け取る「付与」、株式を取得する「権利行使」、取得した株を売る「売却」です。労務の論点が集中するのは、付与と権利行使、そして従業員が会社を離れるとき。
弁護士による解説動画「中小企業法務チャンネル」でも、この制度が取り上げられています。上場やM&Aを目指すベンチャー企業が、人材確保に活用する仕組みという位置づけです。資金に限りのある創業期でも、将来の価値で報いられる点が魅力と言えます。
税制適格・税制非適格・有償・信託型|種類の違いは「入口」だけ押さえる
ストックオプションには、いくつかの種類があります。近年は税制改正で、制度が使いやすくなりました。財務省の令和5年度・6年度「税制改正の大綱」に盛り込まれた内容です。権利行使期間の延長や、年間の権利行使価額の上限引き上げなどです。
代表的なのは「税制適格ストックオプション」です(租税特別措置法第29条の2)。税制適格とは、法律の要件を満たすことで税の優遇を受けられる型のことです。一定の要件を満たすと、権利行使の時点では課税されません。要件を満たさないものは税制非適格と呼ばれ、ほかに従業員がお金を払って取得する有償型や、信託を使う信託型があります。
信託型については、国税庁が2023年5月に「ストックオプションに対する課税(Q&A)」を公表しました。そこでは、権利行使時の利益を給与所得として扱う考え方が示されています。どの種類を選ぶかで、税金の扱いが大きく変わる点は押さえておきたいところです。
種類ごとの特徴と、労務で確認したいことを一覧にしました。課税の詳細は税理士にご確認ください。
| 種類 | 特徴(概要) | 労務で確認したいこと |
|---|---|---|
| 税制適格 | 要件を満たすと権利行使時に課税されない(租税特別措置法第29条の2) | 付与対象者の範囲と、就業規則・雇用契約の整合 |
| 税制非適格 | 要件を満たさない無償型(行使時に課税されることがある) | 権利行使の情報を給与計算担当へ伝える流れ |
| 有償型 | 従業員がお金を払って権利を取得する | 給与天引きで払い込むなら労使協定(会社と従業員代表の書面の取り決め)が必要(労働基準法第24条) |
| 信託型 | 信託を使い、後から対象者に配分する。国税庁Q&A(2023年5月)で給与所得とする考え方 | 源泉徴収が必要な場面での給与計算との連携 |
ただ、種類ごとの税務上の判断は、税理士の業務領域です。労務の立場からは「どの種類を選んだか」を把握します。そのうえで、雇用契約や給与計算への影響を確かめていく、という関わり方です。
税務・登記は税理士・司法書士、労務は社労士|相談先の役割分担
ストックオプションの導入には、複数の専門家が力を合わせます。発行手続きや契約書の作成は弁護士、登記は司法書士、税務は税理士という分担が一般的です。そして、従業員との雇用契約や就業規則、社会保険の手続きは社会保険労務士の領域です。
私がご相談を伺っていると、税務と登記は顧問の先生方がしっかり対応されています。その一方で、社内のルールとの整合だけが手つかずというケースをよく見かけます。どの専門家に何を聞けばよいかが分かるだけでも、準備の見通しはぐっと立てやすくなるはずです。
ストックオプションは「賃金」に当たる?|労働基準法上の扱い
ストックオプションは、原則として労働基準法上の賃金には当たりません。根拠は平成9年6月1日の行政通達(基発第412号)です。利益の時期と額が労働者の判断に委ねられ、労働の対価ではないと整理されています。この結論から、残業代や最低賃金の扱いなど、実務上の答えが導かれます。
行政通達(平成9年6月1日 基発第412号)の考え方
労働基準法第11条では、賃金とは「労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのもの」と定められています。ストックオプションの場合、権利を使うかどうか、いつ使い、いつ株を売るかは本人が決めます。利益が出るかどうかも、株価次第で変わります。
こうした性質から、通達ではストックオプションから得られる利益は労働の対償ではなく、賃金には当たらないとされました。あわせて、あらかじめ定めた賃金の一部にストックオプションを充てる扱いは認められないとされました。賃金の通貨払いの原則(労働基準法第24条)に反するためです。通貨払いの原則とは、賃金は現金(お金)で支払うという決まりのことです。
つまり、ストックオプションは「給与の一部」ではなく、給与とは別枠のインセンティブとして位置づけるのが基本です。この線引きを社内で共有しておくと、後の説明がぐっと楽になります。
割増賃金・平均賃金・最低賃金の計算には含めない
賃金に当たらない以上、ストックオプションによる利益は、労働基準法上の各種計算の基礎には入りません。対象は、残業代などの割増賃金(第37条)と、平均賃金(第12条)の計算です。平均賃金とは、休業手当や解雇予告手当の基準となる1日あたりの賃金額のことです。
最低賃金も同じ考え方です。最低賃金法第4条で支払いが義務づけられているのは、あくまで賃金です。ストックオプションの価値を足して、最低賃金を上回らせることはできません。給与計算の担当者にも、この扱いを一度共有しておくと安心です。
「給与を下げてストックオプションで補う」設計に注意が必要な理由
創業期には「現金の給与は抑えめにして、その分をストックオプションで報いたい」と考える経営者様も少なくありません。その想い自体は、とても自然なものです。ただ、すでに働いている方の給与をそのまま下げて置き換える形は、法律上難しい部分があります。
本人の同意なく賃金を下げることは、労働条件の不利益変更にあたるためです(労働契約法第8条〜第10条)。不利益変更とは、働く人にとって条件が悪くなる変更のことです。たとえば、月給を本人の同意なく引き下げる場合が当たります。さらに、ストックオプションは賃金ではないため、下げた給与を補ったことにはなりません。
一方で、こちらのアプローチなら実現しやすくなります。たとえば、現在の給与や賞与は維持したまま、別枠でストックオプションを上乗せする方法です。新しく採用する方には、給与水準とストックオプションを分けて提示し、納得のうえで入社してもらう形もご検討ください。
社会保険での扱い|標準報酬月額と保険料への影響
ストックオプションの付与や権利行使で得た利益は、原則として社会保険の「報酬等」には含めない扱いです。ただし、賃金の代わりとして付与するなど制度の組み立て方によっては、判断が変わることがあります。給与計算の担当者が迷いやすいポイントなので、ここで整理しておきましょう。
健康保険・厚生年金の「報酬等」との関係
社会保険料は、標準報酬月額をもとに計算されます。標準報酬月額とは、毎月の給与などの報酬を一定の幅で区切った金額のことです。報酬等は「労働者が労働の対償として受けるすべてのもの」と定められています。根拠は健康保険法第3条第5項、厚生年金保険法第3条第1項第3号です。
ストックオプションは、労働基準法の考え方と同じく、労働の対償としての性格が薄いとされています。経済産業省は2023年3月に「インセンティブプラン導入の手引」を改訂しました。
そのQ&Aでも、ストックオプションは原則として報酬等に当たらないと紹介されています。この手引は役員報酬向けの資料ですが、従業員の場合も考え方の参考になります。そのため、付与しただけで保険料が上がる、ということは通常ありません。
賃金の代わりとして付与する場合は個別の確認を
注意したいのは、給与の一部を置き換える形でストックオプションを渡すケースです。実質的に賃金の代わりと見られる場合は、報酬等としての判断が変わる余地が出てきます。
迷ったときは、制度の資料を手元にそろえて、管轄の年金事務所に事前に確認するのが確実です。私たちも、社会保険の観点から確認したい点を整理するところからお手伝いしています。雇用保険の扱いで迷うときは、管轄のハローワークに確認しておくと安心です。
税制非適格の権利行使で給与所得になる場合の給与計算との連携
税制非適格や信託型では、権利行使時の利益が給与所得として扱われることがあります。その場合、会社に源泉徴収(給与から所得税を差し引いて納める手続き)が必要になる場面が出てきます。これは所得税の話なので、具体的な計算や判断は税理士にご相談ください。
労務の立場から大切なのは、権利行使があったことを給与計算の担当者が把握できる流れをつくることです。権利行使の連絡が経理や総務に届かず、源泉徴収の対応が後手に回る、という行き違いは避けたいところです。給与計算を外部に任せている場合も、情報の受け渡し方を決めておくとスムーズです。
給与計算の体制づくりは、江東区で給与計算代行を任せるなら|中小企業が本業に集中できる社労士活用でもご紹介しています。
就業規則・雇用契約にどう反映する?|書いておきたい4つの項目
ストックオプションの細かな条件は、通常「新株予約権割当契約書」で定めます。誰に、いくつの権利を、どんな条件で渡すかを、会社と本人の間で取り決める書類です。一方で、従業員全体を対象にした制度として運用するなら、就業規則への記載が必要です。雇用契約書や求人の伝え方もそろえておくと、後の行き違いを防ぎやすくなります。
全従業員に適用する制度なら就業規則への記載を検討(労働基準法第89条第10号)
就業規則には、いつも書く事項と、制度を設けるなら書く事項があります。労働基準法第89条第10号が定めるのは、「当該事業場の労働者のすべてに適用される定め」の記載です。
通達でも、ストックオプション制度は労働条件の一部であり、制度を設ける場合はこの規定の対象になると整理されています。たとえば「一定期間以上勤めた正社員全員を対象とする」制度を考えてみましょう。この場合は就業規則に概要を書き、詳細を別規程や割当契約書に委ねる形が考えられます。
就業規則に置く条文は、たとえば次のような短いもので構いません。
第○条(ストックオプション)
1 会社は、別に定めるストックオプション規程に基づき、
対象となる従業員に新株予約権を付与することがある。
2 前項の新株予約権は賃金には当たらず、その詳細は
ストックオプション規程および新株予約権割当契約書の定めによる。
実際の文言は、会社の制度に合わせて調整しましょう。
一方、特定の幹部社員だけに個別に付与する場合は、全員に適用される定めとは言いにくい面があります。どちらの形をとるかで書き方が変わるので、制度の設計段階で一度ご相談いただくのがおすすめです。就業規則の基本は就業規則とは?義務・作成・変更を中小企業向けにわかりやすく解説でまとめています。
雇用契約書・労働条件通知書には「賃金とは別の制度」と明記する
労働条件通知書とは、会社が労働者に賃金や労働時間などの条件を書面で伝えるための書類です(労働基準法第15条)。付与する場合は、この書類に「賃金とは別のインセンティブ制度」と書き添えておくと誤解を防げます。
あわせて、「詳細は新株予約権割当契約書による」と参照先を明記するのもおすすめです。給与欄にストックオプションの金額を書き込んでしまうと、賃金の一部と受け取られるおそれがあります。
労働条件通知書に添える一文の例は、次のとおりです。
【ストックオプションについて】
会社は、別に定める規程および新株予約権割当契約書に基づき、
新株予約権を付与することがあります。
本制度は賃金とは別のインセンティブ制度であり、
権利行使の条件・失効事由は新株予約権割当契約書の定めによります。
入社後に付与する場合も、同じ考え方で整えましょう。労働条件通知書を作り直す必要まではなくても、付与の際に「賃金とは別の制度であること」を書面で添えておくと安心です。後から入社した方との説明のばらつきも防げます。
割当契約書と就業規則の「懲戒・退職」の定義をそろえる
割当契約書には、「懲戒解雇された場合は権利を失う」「退職した場合は行使できない」といった失効条項がよく入ります。失効条項とは、一定の事情があると権利が消える取り決めのことです。このとき、契約書の「懲戒解雇」と、就業規則の懲戒規定の内容がずれていると、どちらで判断するのか迷う場面が出てきます。
たとえば、割当契約書には「懲戒処分を受けた場合」と幅広く書いてあるとします。一方、就業規則では、けん責から懲戒解雇まで段階があるケースです。
軽い処分でも失効するのか、意図をはっきりさせておくと安心です。契約書の内容は弁護士が確認し、社労士は就業規則側の懲戒・退職の定義を整える。そんな役割分担も一つの方法です。
求人票・オファーレターで年収に含めて見せない工夫
採用の場面でも気をつけたい点があります。「想定年収○○万円(ストックオプション含む)」のように、現金の給与と合算して見せる伝え方です。入社後に「思っていた給与と違う」と感じさせてしまうと、せっかくの採用が早期の離職につながりかねません。
求人票やオファーレターでは、現金で支払う給与と、ストックオプションを分けて記載するのがおすすめです。権利行使の条件や、上場などが実現しない場合は利益が出ないことも、あわせてお伝えしておくと誠実です。採用時の手続き全体はスタートアップが初めて採用する時に押さえる手続き|雇用保険・社保もご覧ください。
退職・解雇・M&Aのときに起こりやすい労務トラブル
ストックオプションをめぐる行き違いが表に出やすいのは、従業員が会社を離れるときや、会社の状況が大きく変わるときです。多くの割当契約書では在籍が権利行使の条件とされ、退職とともに権利が失われます。事前に想定しておきたい場面を見ていきましょう。
退職時の失効条項と、本人への説明不足による不信感
SmartHR創業者でNstock代表の宮田昇始氏は、PIVOTの番組で、ストックオプションの課題を率直に語っています。退職やM&Aの際に失効してしまう業界の慣習や、従業員が自分の持っている数を把握していない問題です。管理が表計算ソフト頼みになり、運用の負担が大きいという指摘もありました。
私もご相談の中で、「辞めたら失効するとは聞いていなかった」という従業員の声に触れることがあります。条項そのものは割当契約書に書いてあっても、本人がその意味を理解していなければ、不信感だけが残ってしまいます。
付与の時点で、失効する条件を言葉で丁寧に伝えておくことが、何よりの予防です。退職の話し合いの場で初めて説明するのでは、受け止めていただくのが難しくなります。
懲戒解雇・退職勧奨と権利の失効が結びつく場面
懲戒解雇されると権利が失効する、という条項は珍しくありません。ただ、懲戒解雇そのものが有効かどうかは、就業規則の定めや処分の重さが妥当かで判断されます(労働契約法第15条)。処分の有効性が争いになれば、ストックオプションの失効もあわせて問題になりかねません。
退職勧奨の場面も同じです。退職勧奨とは、会社が従業員に退職を勧め、合意による退職を促すことを指します。「辞めればストックオプションが消える」という事情は、本人の判断に大きく影響します。話し合いは時間をかけ、相手の表情や受け止め方の変化を見ながら進めることを大切にしたいところです。
なお、処分の有効性をめぐる個別の争いは弁護士の領域です。私たちは、そうした事態に至る前に、就業規則や手続きを整える予防の段階でお手伝いしています。
M&A・IPO延期で権利行使できなくなったときの説明
ストックオプションは、上場(IPO)や会社の売却(M&A)があって初めて利益につながることが多い制度です。上場の時期が延びたり、M&Aの条件で権利が消滅したりすると、従業員の期待とのギャップが生まれます。
こうしたときに大切なのは、経営者様から状況を率直に伝えることです。何が起きて、権利がどうなるのかを、早めに説明する場を設けてください。会社の未来を一緒に信じてくれた方々だからこそ、誠実なコミュニケーションが次の信頼につながります。
業務委託・副業人材への付与と「労働者性」の確認
最近は、業務委託のエンジニアや副業の専門人材にストックオプションを付与するケースも増えています。この場合に一度立ち止まって確認したいのが、その方が実態として「労働者」に当たらないか、という点です。
労働者性とは、契約の名前ではなく、指揮命令を受けて働いているかなどの実態で判断される考え方です。勤務時間や場所を細かく指定し、社員と同じように働いてもらっている場合は、雇用として扱う必要が出てきます。契約形態と働き方がそろっているか、付与の前に見直しておくと安心です。
社員数名のスタートアップが今日から整えたい5つの備え
ストックオプションの労務は、人数が少ないうちに土台を整えておくと、組織が大きくなったときの負担が軽くなります。ここでは、社員数名の会社でも取り組める5つの備えをご紹介します。すべてを一度に進める必要はありません。できるところから一緒に整えていきましょう。
備え1|付与の目的と対象者の考え方を言葉にする
最初の一歩は、「なぜストックオプションを出すのか」を言葉にすることです。創業メンバーへの感謝か、優秀な人材の採用か、それとも定着のための仕組みか。目的によって、付与の対象や数の考え方は変わります。
目的がはっきりしていると、「なぜ自分は対象外なのか」と聞かれたときにも、筋の通った説明ができます。経営者様の想いを従業員に伝わる言葉に置き換えることも、私たちが大切にしている役割の一つです。
目的は、短い文章にまとめて社内で共有しておくのがおすすめです。たとえば「創業期を一緒に支えてくれた方に、会社の成長を分かち合ってほしい」といった一文で構いません。言葉になった目的は、後から対象者を広げるときの判断のよりどころにもなります。
備え2|賃金・賞与の制度とは切り分けて設計する
前の章でお伝えしたとおり、ストックオプションは賃金ではありません。給与や賞与の決め方とは別の仕組みとして設計し、両者を混ぜないことが基本です。
具体的には、給与テーブルや賞与の評価基準にはストックオプションを組み込みません。付与のルールは別規程にまとめる形がわかりやすいでしょう。こうしておくと、残業代の計算や社会保険の手続きでも迷いが少なくなります。
評価面談の場でも、切り分けは役立ちます。「今期の評価は給与と賞与に反映します」と伝えたうえで、こう添えてみてください。
「ストックオプションは、会社の成長を分かち合う仕組みです」と。従業員も受け止めやすいはずです。制度の役割がはっきりすると、社内の納得感もぐっと高まります。
備え3|就業規則・雇用契約書・割当契約書の整合を点検する
3つの書類が同じ方向を向いているか、一度並べて点検してみてください。確認したいのは、対象者の範囲、退職や懲戒のときの扱い、そして「賃金とは別の制度」という位置づけです。
資金調達の際には、投資家による調査(デューデリジェンス)で労務の書類も確認されます。デューデリジェンスとは、投資の前に会社の状態を詳しく調べる手続きのことです。書類の整合がとれていると、その場面でも安心です。詳しくはスタートアップの就業規則|資金調達とDDに強い整え方の要点でもご紹介しています。
備え4|付与時と退職時の説明を「書面+対話」で行う
割当契約書を渡すだけでは、内容が伝わったとは言い切れません。付与のときには、権利行使の条件や失効する場面を、書面とあわせて口頭でも説明する時間をとってください。
退職の申し出があったときも同じです。権利がどうなるかを改めて書面で伝え、疑問があれば聞ける場を設けます。一人ひとりの受け止め方に目を配りながら、細やかに寄り添う対話を重ねることが、トラブルの芽を早めに摘むことにつながります。
説明の際は、相手の表情や声のトーンの変化にも気を配りたいところです。分かったふりをしてうなずいている様子があれば、具体例を添えてもう一度お伝えしましょう。説明した日付と内容を記録に残しておくと、後から確認したいときにも役立ちます。
備え5|付与状況を一覧で管理し、税理士・司法書士と情報を共有する
誰に、いつ、どれだけ付与し、権利行使や失効があったかを一覧で管理しましょう。入退社の情報と結びつけておくと、退職時の対応や給与計算との連携がスムーズになります。
ただし、付与対象者の情報は個人情報でもあります。BAMBOO INCUBATORの解説動画でも、この点が取り上げられていました。税制適格ストックオプションの付与対象者の情報を、誰とどこまで共有してよいかという論点です。共有する相手と範囲を決め、税理士や司法書士とは必要な情報だけを受け渡す運用がおすすめです。
モデルケース|社員数名のスタートアップが整えた3つの書類
ここで、よくあるご相談をもとにした架空のモデルケースをご紹介します。社員が十名に満たないIT系スタートアップが、資金調達を前に、社員の半数ほどへストックオプションを付与することにしました。税務と契約書は顧問の税理士・弁護士が担当し、労務の整理を社労士が受け持つ形です。
取り組んだのは、就業規則への条文1つの追加、労働条件通知書への一文の追記、付与時の説明シートの作成の3つでした。説明シートには、権利行使の条件と、退職すると失効することを平易な言葉で書きました。付与の面談では、一人ずつ15分ほど時間をとって説明しています。
このように準備しておけば、退職者が出ても、本人が失効を理解したうえで話し合いを進めやすくなります。大がかりな制度づくりより、書類の整合と丁寧な説明の積み重ね。それが行き違いを防ぐ近道と言えます。
まとめ|ストックオプションの労務で押さえたい3つのこと
ストックオプションの労務で押さえたいことは、次の3つです。
- 賃金には当たらない:残業代・最低賃金の計算に含めず、社会保険の報酬等にも原則として含めない
- 全従業員が対象なら就業規則に記載:労働条件通知書にも「賃金とは別の制度」と明記する
- 付与時に失効条件を説明:書面と対話で伝え、退職時の行き違いを防ぐ
どれも、社員数名のうちから始められることばかりです。会社の成長に合わせて、少しずつ整えていきましょう。
ストックオプションの労務、KT社労士事務所と一緒に整えませんか
ストックオプションは、会社の未来を従業員と分かち合うための大切な制度です。だからこそ、労務の土台が整っていないと、せっかくの想いがすれ違ってしまうことがあります。経営者様が本業に集中できるよう、私たちが外付けの人事労務として伴走します。
社労士がお手伝いできる範囲と、税理士・弁護士との連携
KT社労士事務所でお手伝いできるのは、まず就業規則や別規程の整備です。雇用契約書・労働条件通知書の見直しや、社会保険・給与計算との連携の整理も含まれます。導入前の段階で、労務の観点から制度設計の確認ポイントを一緒に洗い出すこともできます。
一方、税金の計算や申告、登記、契約書の法的な判断は、それぞれ税理士・司法書士・弁護士の業務です。
私たちがそのすべてを引き受けることはできません。ただ、労務の側から「この点は税理士の先生に確認しましょう」と論点を整理できます。専門家同士の橋渡し役として、お役に立てるはずです。顧問の先生方と連携しながら、会社全体として抜けのない形をつくっていきましょう。
スタートアップの労務を「予防」の視点で支えるKT社労士事務所の関わり方
私たちが大切にしているのは、トラブルが起きてから対応するのではなく、その前兆に気づいて先に手を打つことです。小さな違和感を見逃さないことが、大きな行き違いの予防につながります。
たとえば、付与の対象者が増えてきた、退職者が出始めた、資金調達の準備に入った、といった節目です。こうしたタイミングで就業規則や契約書を見直すと、問題が小さいうちに手を打てます。私たちは、丁寧かつスピーディーな対応を心がけながら、その節目に気づけるよう寄り添っています。
創業期から成長期まで、会社の段階に合わせて深く長く関わることを大切にしています。スタートアップの労務全体は、スタートアップの労務|初雇用から資金調達期の成長を支える基盤設計もあわせてご覧ください。人を活かして、経営に力を。その土台づくりを、私たちが全力でサポートします。
よくあるご質問(FAQ)
Q. ストックオプションは残業代の計算に含める必要がありますか?
A. 含めないのが原則です。行政通達(平成9年6月1日 基発第412号)で、ストックオプションの利益は労働基準法上の賃金に当たらないとされています。そのため、割増賃金の計算の基礎には入りません。
Q. ストックオプションを付与したら社会保険料は上がりますか?
A. 付与や権利行使による利益は、原則として社会保険の報酬等に含めない扱いです。そのため、付与しただけで保険料が上がることは通常ありません。ただし、給与の代わりとして付与するなど組み立て方によっては、年金事務所への確認をおすすめします。
Q. 退職した社員のストックオプションはどうなりますか?
A. 多くの割当契約書では、在籍していることが権利行使の条件とされ、退職とともに失効します。内容は契約書ごとに異なるため、まずは自社の割当契約書をご確認ください。付与の時点で書面と対話で説明しておくと、退職時の行き違いを防ぎやすくなります。
Q. 給与を下げる代わりにストックオプションを付与してもよいですか?
A. 既存の社員の給与を一方的に下げて置き換える形は、労働条件の不利益変更にあたるため難しい面があります。また、ストックオプションは最低賃金の計算にも含められません。給与や賞与は今のまま維持し、別枠で上乗せする形をご検討ください。
Q. ストックオプションの制度は就業規則に書く必要がありますか?
A. 全従業員を対象にした制度として設ける場合は、労働基準法第89条第10号により就業規則への記載が必要です。特定の方に個別に付与する場合は扱いが変わるため、制度の形に合わせて書き方を考えていきましょう。
Q. ストックオプションの税金について社労士に相談できますか?
A. 税金の個別の判断や申告は、税理士の業務領域です。KT社労士事務所では、労務の観点から制度の土台を整えます。税務の確認が必要な論点は整理して、顧問の税理士の先生との橋渡しをお手伝いしています。
ご不明な点や、ちょっとした疑問があれば、お気軽にご相談ください。どんな些細なことでも、まずはお話をお聞かせいただければと思います。
私たちKT社労士事務所は、経営者様の隣で一緒に考える伴走者として、細やかに寄り添うサポートを大切にしています。
出典・参考
- e-Gov法令検索「労働基準法」(○確認済み):https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000049
- (○e-Gov法令検索で確認)労働基準法第11条(賃金の定義)、第12条(平均賃金)、第15条(労働条件の明示)、第24条(賃金の支払)、第37条(割増賃金)、第89条(就業規則の記載事項)
- 平成9年6月1日 基発第412号(ストック・オプション制度の労働基準法上の取扱い)△部分確認(解説資料で内容を確認)
- (○e-Gov法令検索で確認)労働契約法第8条〜第10条(労働条件の変更)、第15条(懲戒)/最低賃金法第4条
- (○e-Gov法令検索で確認)健康保険法第3条第5項、厚生年金保険法第3条第1項第3号(報酬の定義)
- (○e-Gov法令検索で確認)会社法第2条第21号(新株予約権)/租税特別措置法第29条の2(税制適格ストックオプション)
- 国税庁「ストックオプションに対する課税(Q&A)」(2023年5月公表・同年7月改訂・○確認済み):https://www.nta.go.jp/law/joho-zeikaishaku/shotoku/shinkoku/230428/index.htm
- 財務省「令和5年度税制改正の大綱」「令和6年度税制改正の大綱」(△部分確認:解説記事で内容を確認)
- 経済産業省「『攻めの経営』を促す役員報酬―企業の持続的成長のためのインセンティブプラン導入の手引―」(2023年3月改訂)△部分確認(報道で内容を確認)
- 内閣官房「スタートアップ育成5か年計画」(2022年11月28日決定・○確認済み):https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/pdf/sdfyplan2022.pdf
- PIVOT 公式チャンネル「SmartHR創業者が語るストックオプションの光と陰」(○確認済み):https://www.youtube.com/watch?v=7zD_wEDvxYA
- 中小企業法務チャンネル「ストックオプション(新株予約権)の仕組みと税制適格」(○確認済み):https://www.youtube.com/watch?v=WtLzxa-du9c
- BAMBOO INCUBATOR「税制適格ストックオプションと個人情報保護法の関係」(○確認済み):https://www.youtube.com/watch?v=S95Sp2Lk1gM
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