スタートアップの労務|初雇用から資金調達期の成長を支える基盤設計

「事業アイデアと資金調達には全力を注いできた。けれど労務は、正直まだ何も手を付けられていない」——スタートアップ経営者様から、私たちKT社会保険労務士事務所がよくうかがう声です。
結論から言うと、スタートアップの労務は「1人目の従業員を雇用した瞬間」から法的な義務が発生し、資金調達やIPO・M&Aの局面でも必ず精査されます。整えるべき土台は、大きく3つ。雇用契約と労働条件通知書、社会保険・労働保険の適用手続き、就業規則を中心とした社内ルールです。
本記事では、初雇用の前に押さえたい5つの基本手続きから、就業規則の考え方、ストックオプションや副業許可の反映、資金調達期の労務デューデリジェンス、そして「まだ社労士は早い」と迷ったときの判断軸まで、シード〜シリーズA期の経営者様が知っておきたい労務の全体像を伴走者目線で整理します。お役に立てれば嬉しく思います。
INDEX≡目次
- 1スタートアップに労務が「先送りできない」理由
- ►「1人でも雇ったら」発生する法的義務
- ►資金調達・IPO時に必ず問われる労務デューデリジェンス
- ►先送りが招く「未払残業代・保険加入漏れ」の後戻りコスト
- 2まず全体像|初雇用〜シリーズAで整える労務ロードマップ
- ►ステージ別・労務整備マップ(シード/プレA/シリーズA)
- ►「先に手を付ける順番」を決める3つの判断軸
- ►整備状況をチェックできるセルフ診断リスト
- 3初雇用の前に必ず整える5つの基本手続き
- ►労働条件通知書と雇用契約書の準備(労基法第15条)
- ►労働保険(労災・雇用)の成立届と概算保険料の申告
- ►健康保険・厚生年金保険の新規適用届
- ►所得税・住民税の源泉徴収の準備
- ►36協定・給与規程・入社時提出書類のセット化
- 4就業規則は「10人未満だから不要」ではない理由
- ►法律上の義務(労基法第89条)と実務上の必要性の違い
- ►「規定がない=会社が守れない」トラブル事例
- ►10人未満スタートアップ向け・簡易版就業規則の考え方
- 5社会保険・労働保険|スタートアップが陥りやすい落とし穴
- ►「役員だけの会社」でも社会保険は原則加入
- ►業務委託と雇用契約の混在で起こるリスク
- ►リモート・副業・週20時間未満パート特有の加入判定
- 6ストックオプション・副業許可を規程にどう反映するか
- ►ストックオプション付与と雇用契約・退職金規程の整合性
- ►副業許可・兼業ルールの規程化と労働時間通算の考え方
- ►リモートワーク・フルフレックスを就業規則にどう書くか
- 7資金調達で問われる労務デューデリジェンスの実務
- ►労務DDでチェックされる代表的な項目
- ►指摘されやすい「未払残業代・36協定・固定残業代」
- ►指摘されにくくするための平時からの整備ポイント
- 8「まだ社労士は早い」と思ったら|自社対応と外部委託の境界線
- ►自社で対応しやすい労務業務/専門家に頼むと安心な業務
- ►顧問契約・スポット契約・給与計算アウトソースの使い分け
- ►「先に整える」ことで避けられる後戻りコスト
- 9スタートアップの労務でよくいただくご質問(FAQ)
- 10まとめ|労務基盤を整えて、本業に集中できる会社へ
スタートアップに労務が「先送りできない」理由
スタートアップの労務は、人数が少ないうちから整えておくほど、後の意思決定が速くなります。「1人でも雇ったら」その瞬間から労働基準法・労働保険・社会保険の各制度が動き出すため、規模の大小に関わらず、法的な義務は等しく発生する仕組みです。
私たちが顧問先や単発相談で入るとき、最初によくうかがうのが「今、うちの労務ってどのくらい整っていますか?」というご質問です。実際に細かく見ていくと、「1人目採用のときにひな型のまま契約書を交わし、それ以来更新していない」というケースが少なくありません。小さな見落としが、シリーズAや大型ラウンドの直前に大きな指摘として跳ね返ってくる——この構図をご一緒に整理していきます。
「1人でも雇ったら」発生する法的義務
労働基準法第15条では、事業主は労働者を採用するときに、賃金・労働時間・休日・退職などの労働条件を書面(または本人希望による電磁的方法)で明示しなければならないと定められています。「1人しかいないから口約束でよい」ではなく、初雇用の瞬間から書面明示の義務がスタートする仕組みです。
これは正社員に限りません。アルバイト・パート・契約社員・業務委託と併走する社員でも、雇用実態がある限り同じ規制がかかります。「まだスタートアップだから」という理由で例外扱いされる規定は、労基法にはほぼありません。
資金調達・IPO時に必ず問われる労務デューデリジェンス
シリーズA以降やM&A・IPOの局面では、投資家・監査法人・買い手候補が「労務デューデリジェンス(労務DD)」を実施します。未払残業代・36協定未提出・社会保険の加入漏れ・固定残業代の設計不備は、指摘されやすい代表項目です。
『イグジットから逆算して考えるスタートアップの労務戦略』(YouTube/複数の専門家が解説)でも触れられているように、労務DDでの指摘は「条件の再交渉」「クロージングの遅延」「最悪の場合は破談」につながります。私たちも過去にご相談を受けた事例で、「あと3年早く土台を整えていれば」というお声を何度もお聞きしました。
先送りが招く「未払残業代・保険加入漏れ」の後戻りコスト
労務の未整備は、後から遡って整えるほど費用と時間がかかります。未払残業代は原則過去3年分(労働基準法第115条、2020年4月改正)まで請求され得ます。健康保険・厚生年金の加入漏れも、最大2年遡って追徴されるのが原則です(健康保険法第193条、厚生年金保険法第92条)。
先に整える方が結果的にコストが低く、経営者様が本業に集中できる時間を確保できます。私たちが「予知・予防型の労務」を大切にしているのは、こうした後戻りコストを減らし、事業のスピードを止めないためです。
労務未整備が招く「後戻りコスト」の3つのリスク
未払残業代の請求は、原則として過去3年分まで遡及可能とされています。
※出典:労働基準法第115条(2020年4月改正)
社会保険(健康保険・厚生年金)の加入漏れは、最大2年遡って追徴されるのが原則です。
※出典:健康保険法第193条/厚生年金保険法第92条
労務デューデリジェンスで未払残業代・保険加入漏れが発覚すると、資金調達の遅延・条件変更につながる場合があります。
※出典:シリーズA以降の投資家審査/IPO審査での代表的な指摘項目より
まず全体像|初雇用〜シリーズAで整える労務ロードマップ
スタートアップの労務は、事業ステージによって「先に整えるべき優先順位」が変わります。シード期は最低限の法令遵守、プレA期は運用の型化、シリーズA期はDD耐性——この順番で整えていくと、無理なく積み上がります。
一気に完璧を目指すのではなく、フェーズごとに手が届く範囲から着手いただくのが現実的です。私たちKT社会保険労務士事務所は、経営者様のフェーズと事業計画をお聞きしたうえで、「今この時期に、これは絶対」「これは半年後でも大丈夫」を一緒に切り分けることを大切にしています。
ステージ別・労務整備マップ(シード/プレA/シリーズA)
ステージが進むごとに、必要になる労務整備は積み重なります。シード期は「創業者+数名」の最低限、プレA期は「運用の型」、シリーズA期以降は「DDに耐えるドキュメント整備」——この階段設計を意識しておくと、抜け漏れを避けやすくなります。
スタートアップのステージ別・労務整備マップ
| 整備項目(根拠) | シード期 | プレA期 | シリーズA期以降 |
|---|---|---|---|
| 雇用契約・労働条件通知書 労基法第15条 |
必須 | 運用の型化 | DD耐性強化 |
| 就業規則 労基法第89条(10人以上で届出義務) |
簡易版を推奨 | 整備必須 | 改定履歴管理 |
| 社会保険(健保・厚年) 健保法第3条/厚年法第6条 |
必須(原則加入) | 短時間労働者判定 | DD耐性強化 |
| 労働保険(労災・雇用) 労働保険徴収法第4条の2 |
必須(初雇用時) | 年度更新 | DD耐性強化 |
| 36協定 労基法第32条・第36条 |
残業有なら必須 | 整備必須 | 最新版届出済み |
| 給与規程・固定残業代 労基法第37条 |
骨格を明示 | 明細設計を確定 | DD耐性強化 |
| 労務DD準備 投資家・監査法人審査 |
対象外 | 棚卸し開始 | 実務対応 |
※凡例:必須=法令上の義務が発生/推奨=リスク低減のため強く推奨/DD耐性強化=資金調達・上場審査に備えた整備。出典:労働基準法/健康保険法/厚生年金保険法/労働保険の保険料の徴収等に関する法律。
「先に手を付ける順番」を決める3つの判断軸
順番に迷ったときは、(1)法的義務の発生タイミング、(2)採用計画との連動、(3)資金調達のロードマップ——この3軸で判断すると整理しやすくなります。特に採用計画は、雇用契約書・就業規則の準備リードタイムを規定するため、採用開始の2〜3か月前には労務整備の見取り図を持っておきたいところです。
私たちがご相談を受けるときも、「いつ、誰を、何人採用予定ですか」「次の資金調達はいつ頃を想定していますか」の2点を、必ず最初にうかがっています。この2点が定まると、優先順位は自然に見えてきます。
整備状況をチェックできるセルフ診断リスト
まずは自社の現在地を把握するだけでも、次の一手が見えてきます。以下はご相談の前段階でよく使うセルフ診断の代表項目です。
スタートアップ経営者様向け・労務セルフ診断リスト(10項目)
5分で自社の現在地を棚卸しできます。チェックが入らない項目が「先に手を付けるべきポイント」です。
チェックが3項目以下だった場合、シリーズA以降の資金調達までに整備が集中する傾向があります。半期に1回の棚卸しをおすすめしています。
初雇用の前に必ず整える5つの基本手続き
初めて従業員を雇用するときに、法令上ほぼ確実に発生するのが以下の5つの手続きです。労働条件通知書、労働保険の成立届、社会保険の新規適用届、源泉徴収の準備、36協定を含む社内ルールの初期セット——この順で整えていただくと、抜けが起きにくくなります。
『シード期スタートアップの従業員0人から始める労務管理体制構築』(YouTube)でも、初雇用直前の準備が「開業後の労務トラブルを大きく減らす分岐点」として紹介されています。私たちも、初雇用前のスポット相談を最も推奨しているタイミングとしてお伝えしています。
労働条件通知書と雇用契約書の準備(労基法第15条)
労働基準法第15条により、事業主は労働条件を書面等で明示する義務があります。ひな型は厚生労働省が公開している「労働条件通知書」(モデル様式)を出発点にすると、必要項目の漏れが起きにくくなります。
ここで気を付けていただきたいのが、「雇用契約書」と「労働条件通知書」は別物という点です。前者は双方合意の契約書、後者は事業主から労働者への明示書類。多くのスタートアップでは、2つの機能を1枚にまとめた「兼用書式」を運用されています。私たちがご相談を受けたある企業様では、この兼用書式を導入したことで、入社時の説明時間が半分以下に短縮されました。
労働保険(労災・雇用)の成立届と概算保険料の申告
労働者を1人でも雇用したら、事業主は労働基準監督署・公共職業安定所に労働保険関係成立届を提出する必要があります(労働保険の保険料の徴収等に関する法律第4条の2)。同時に、その年度の概算保険料を申告・納付します。
労災保険は事業主負担のみ、雇用保険は事業主と労働者の双方負担です。「まだ1人だから労災に入っていない」というのは労働災害発生時に極めて大きなリスクになるため、初雇用と同時期の手続きをおすすめします。
健康保険・厚生年金保険の新規適用届
法人であれば、原則として設立と同時に健康保険・厚生年金保険の適用事業所となります(健康保険法第3条、厚生年金保険法第6条)。役員報酬を受け取る役員1人だけの会社でも、原則加入が必要です。
新規適用届は、事実発生から5日以内に管轄の年金事務所へ提出することとされています。書類が煩雑に感じられるときは、社労士に事務代理をご依頼いただければ、経営者様の手を煩わせずに整えられます。
所得税・住民税の源泉徴収の準備
給与を支払う際は、所得税の源泉徴収と、住民税の特別徴収(原則)の仕組みを整える必要があります。所得税は「給与所得の源泉徴収税額表」(国税庁公表)に基づいて計算し、翌月10日までに納付するのが原則です。
なお、税務手続きの詳細は税理士の業務領域となります。私たち社労士は、労務側から見た給与計算・社会保険料控除・年末調整との連動部分をサポートし、必要に応じて信頼できる税理士と連携する形を取っています。
36協定・給与規程・入社時提出書類のセット化
法定労働時間(週40時間・1日8時間、労基法第32条)を超えて働かせる可能性がある場合、労使協定(いわゆる36協定)を締結し、労働基準監督署へ届け出る必要があります(労基法第36条)。届出前の時間外労働は違法となるため、初雇用の前に用意しておきたい書類です。
また、給与規程・入社時提出書類(マイナンバー、扶養控除等申告書、通勤届など)は、一度セット化しておくと2人目以降の採用が一気に楽になります。ここは「先に型を作っておく」ほど効果が高いポイントです。
初雇用の前に整える5つの基本手続き(ステップ順)
労働条件通知書+雇用契約書の準備
賃金・労働時間・休日・退職などを書面で明示。兼用書式が実務上おすすめです。
労基法 第15条労働保険(労災・雇用)成立届+概算保険料申告
労働者を1人でも雇用したら、労基署・ハローワークへ提出します。
労働保険徴収法 第4条の2健康保険・厚生年金保険の新規適用届
法人設立時から適用事業所となります。事実発生から5日以内が原則。
健保法 第3条/厚年法 第6条所得税の源泉徴収・住民税の特別徴収の準備
給与所得の源泉徴収税額表(国税庁)に基づき、翌月10日までに納付。
国税庁 源泉徴収税額表36協定・給与規程・入社時提出書類のセット化
時間外労働を予定するなら36協定の届出が必須。書式をセット化しておくと2人目以降が楽です。
労基法 第32条・第36条就業規則は「10人未満だから不要」ではない理由
「うちは常時10人未満なので就業規則は不要ですよね?」——これは、私たちが最もよくいただくご質問の1つです。労働基準法第89条上の作成・届出義務は「常時10人以上の労働者を使用する事業場」に課せられており、10人未満なら法的な義務はないというのが法律の建て付けです。
ただ、法的義務がないことと、作らない方が良いことは別の話です。ここは「できません」で終わらせず、代替案を含めて整理させてください。
法律上の義務(労基法第89条)と実務上の必要性の違い
労基法第89条の届出義務は、常時10人以上の労働者を使用する事業場が対象です。10人未満のスタートアップでは法的な作成・届出義務は発生しません。ここまでは事実として、正確にお伝えしています。
ただ、就業規則がないと、労働時間・休日・懲戒・服務規律などのルールを会社として明文化できていない状態が続きます。トラブルが起きたときに「うちのルールはこれです」と示せないことが、10人未満の会社ほど不利に働く場面が多いのが実務上の現実です。
「規定がない=会社が守れない」トラブル事例
たとえば、SNSで会社の機密情報を投稿してしまった従業員に、就業規則の懲戒条項がないと会社としての懲戒処分は原則行えません。「規定がない=会社が守れない」という構造が、10人未満の会社ほど顕在化しやすい傾向にあります。
私たちがご相談を受けたある10名未満のスタートアップ様では、退職者との「有給消化と引き継ぎ期間」のトラブルが発生した際、就業規則がなかったために交渉が長引き、結果的に代表様が本業から数週間離れざるを得ない状況になりました。「先に整えていれば」というお声を、そのときも強くお聞きしました。
10人未満スタートアップ向け・簡易版就業規則の考え方
「フルスペックの就業規則は重すぎる」というご意見はよく分かります。私たちがご提案しているのは、10人未満向けの簡易版(コア規程)と、10人到達を見据えた拡張版の2段階設計です。
- 簡易版:労働時間・休日・休暇、賃金の締日と支払日、退職・解雇、服務規律、懲戒の骨格
- 拡張版:ハラスメント防止、副業許可、リモートワーク、ストックオプション連動条項、育児介護休業規程
「今フル装備は要らない、でも守るべき最低限のラインは押さえたい」というご希望に沿って、フェーズに合わせた設計をご一緒に考えることを大切にしています。
社会保険・労働保険|スタートアップが陥りやすい落とし穴
社会保険・労働保険は、制度が複雑で毎年の改定も多く、専任担当者を置きにくいスタートアップでは特に見落としが起きやすい領域です。「役員だけの会社」「業務委託と雇用の混在」「リモート・副業・週20時間未満」の3つが、私たちがよく相談を受ける代表的な落とし穴です。
『スタートアップやベンチャー企業も必見!IPOを目指す企業が絶対に知るべき労務管理と審査の裏事情』(YouTube)でも、これらの領域が「IPO準備企業が最も指摘を受ける論点」として繰り返し取り上げられています。私たちも同様の傾向を実感しています。
「役員だけの会社」でも社会保険は原則加入
法人が設立された時点で、健康保険・厚生年金保険の適用事業所となります。代表取締役1人の会社であっても、役員報酬が支払われている限り、原則として被保険者資格が発生します(健康保険法第3条、厚生年金保険法第9条)。
「うちはまだ役員だけだから、社会保険は入っていない」というスタートアップ様は少なからずいらっしゃいますが、後から遡って加入手続き・保険料の追徴が生じるリスクが高い領域です。設立直後の段階から整えておくことをおすすめします。
業務委託と雇用契約の混在で起こるリスク
スタートアップでは、業務委託契約と雇用契約が混在するケースが多く見られます。契約書のタイトルが「業務委託契約書」であっても、指揮命令・勤務時間の拘束・専属性などの実態が強ければ、労働基準監督署や年金事務所は「実質的に雇用」と判断し、社会保険・労働保険の遡及適用を求めることがあります。
これは、契約書の表題ではなく「実態」で判断される領域です。私たちは、業務委託先の実態を1件ずつヒアリングし、リスクの高い契約から順に整理していく方式でご支援しています。
リモート・副業・週20時間未満パート特有の加入判定
雇用保険は原則として「週の所定労働時間20時間以上、31日以上の雇用見込み」の労働者が加入対象です。健康保険・厚生年金は、正社員の4分の3以上の労働時間・日数が原則加入基準ですが、特定適用事業所(従業員数51人以上、2024年10月拡大)では週20時間以上・月額賃金8.8万円以上等の要件で短時間労働者も加入対象になりました(日本年金機構)。
スタートアップは急成長で従業員数が短期間に増えるため、「先月まで対象外だった短時間労働者が、今月から加入対象になっている」ということが起こり得ます。四半期に1回の棚卸しをおすすめしています。
短時間労働者の社会保険加入判定マトリックス(2×2)
縦軸:週の所定労働時間 / 横軸:月額賃金
8.8万円未満
8.8万円以上
以上
雇用保険は加入対象。社会保険(健保・厚年)は原則対象外だが、事業所全体の判定により変動。
雇用保険+社会保険とも加入対象(特定適用事業所では、この4要件で健保・厚年へ加入)。
未満
原則として雇用保険・社会保険とも対象外。ただし複数事業所勤務等の特例に注意。
雇用保険は原則対象外。社会保険は正社員の4分の3基準など個別判定が必要。
※特定適用事業所:従業員数51人超(2024年10月拡大)等の要件を満たす事業所。詳細は日本年金機構・厚生労働省の公表資料をご確認ください。
ストックオプション・副業許可を規程にどう反映するか
スタートアップならではの論点として、ストックオプション(新株予約権)、副業許可、リモートワーク・フルフレックスは、既製の就業規則ひな型には収まりきらないテーマです。税務・法務の詳細はそれぞれの専門家の領域ですが、労務面での契約書・規程への反映は、社労士が伴走できる範囲です。
『法人成りした会社が注意すべきこと』(YouTube)でも触れられているように、法人化直後・スタートアップ特有の労務論点は、後から整えるほど作業量が増える傾向があります。
ストックオプション付与と雇用契約・退職金規程の整合性
ストックオプションを付与する場合、雇用契約書・退職金規程・就業規則のどこに、何を書いておくかが実務上の論点になります。特に「退職時のストックオプションの取り扱い(自己都合退職・会社都合退職での差異)」は、後々の紛争を防ぐ意味でも規程レベルで明確にしておきたい部分です。
税制適格ストックオプションの詳細な設計は税理士・弁護士の領域ですが、労務面での契約書・退職金規程との整合性チェックは、私たちが伴走できる範囲です。
副業許可・兼業ルールの規程化と労働時間通算の考え方
働き方改革以降、厚生労働省「副業・兼業の促進に関するガイドライン」(2018年策定、2020年9月・2022年7月改定)により、副業・兼業の労働時間は原則通算されるという考え方が明確化されました。副業許可を出す場合、労働時間の把握・健康管理・情報漏えい防止を含めた規程整備が必要になります。
「副業OK」と口頭で伝えるだけでは、後日のトラブル時に会社が説明責任を果たしにくい状態が生まれます。副業許可申請書のひな型と、就業規則の副業条項をセットで整えておくことをおすすめしています。
リモートワーク・フルフレックスを就業規則にどう書くか
リモートワーク・フルフレックスも、就業規則・賃金規程への反映が必要な論点です。在宅勤務手当、通信費・光熱費の実費補償、労働時間の把握方法、業務中の中抜けの取り扱い——これらを規程で明確にしておくと、運用のブレが減ります。
私たちは「働き方が自由であるほど、ルールは明文化しておく方が結果として自由度が守られる」というスタンスで、ご一緒に規程を整えていくことを大切にしています。
資金調達で問われる労務デューデリジェンスの実務
シリーズA以降、M&A、IPOのタイミングで必ず入るのが労務デューデリジェンス(労務DD)です。ここで指摘が積み上がると、投資条件の再交渉やクロージング遅延、最悪の場合は破談につながります。平時から整えておくことで、DD対応の負荷とリスクは大きく下がります。
『イグジットから逆算して考えるスタートアップの労務戦略』(YouTube)でも、労務DDでの代表的な指摘項目と、平時からの整備方針が体系的に解説されています。私たちも同様の視点で、シリーズA前後の顧問先には「DD想定リスト」の棚卸しを定期的にご提案しています。
労務DDでチェックされる代表的な項目
労務DDでは、以下のような項目が細かくチェックされます。
- 雇用契約書・労働条件通知書の網羅性と最新性
- 就業規則・36協定の届出状況と最新版の整合性
- 未払残業代の有無(固定残業代の設計と実態の乖離)
- 社会保険・労働保険の適用漏れ
- 労災事故・労使紛争の履歴と対応
- ストックオプション付与関連書類の整合性
- 業務委託・アルバイトの実態と契約の整合性
これらは1つ1つが単独で見れば「小さな整備」ですが、平時からの積み重ねで大きな差が生まれる領域です。
指摘されやすい「未払残業代・36協定・固定残業代」
労務DDで最も頻繁に指摘される3つが、未払残業代・36協定未提出(または現状と乖離)・固定残業代の設計不備です。特に固定残業代は、「基本給と固定残業代の内訳を明示していない」「固定残業時間を超えた分の追加支給ルールが不明確」といった設計不備が指摘されやすい傾向にあります。
「みなし残業として月30時間分を支給している、と口頭で説明しているだけ」という運用は、DDの入口で必ず指摘されます。給与規程と雇用契約書の両面で明示することをおすすめしています。
指摘されにくくするための平時からの整備ポイント
DD対応で慌てないためには、平時から以下を回しておくのが有効です。
- 半期に1回、労務書類の棚卸し(雇用契約書・就業規則・36協定の版管理)
- 月次で勤怠・給与計算のダブルチェック体制
- 労使紛争の兆候(相談・退職理由)を経営者にエスカレーションする社内ルート
- 顧問社労士との月次定例でのリスクレビュー
私たちは、こうした「平時の型」を経営者様のご負担が最小になる形でご一緒に組み立てることを大切にしています。
「まだ社労士は早い」と思ったら|自社対応と外部委託の境界線
「社労士を頼むほどの規模ではない気がする」——このお声は、私たちに直接ご相談いただくとき、ほぼ全ての経営者様から一度はうかがいます。無理に契約をおすすめするのではなく、「自社で対応できる範囲」と「外部の専門家に任せた方が結果的にコストが下がる範囲」を、フラットに整理する——それが私たちの基本スタンスです。
『スタートアップ企業が社労士と顧問契約すべき理由』(YouTube)でも、社労士活用のタイミングは「初雇用」または「シリーズA前後」の2つが分岐点として紹介されています。私たちもほぼ同じ肌感を持っています。
自社で対応しやすい労務業務/専門家に頼むと安心な業務
自社で対応しやすい業務と、外部委託が安心な業務は、次のように整理できます。
- 自社で対応しやすい:日常の勤怠管理、給与計算の入力、入退社時の書類回収、健康診断の実施
- 外部委託が安心:就業規則の作成・改定、社会保険・労働保険の新規適用や年度更新、労務DD対応、労使紛争予防、助成金の情報提供と申請支援
助成金については、要件を満たせば受給の可能性がある制度が複数ありますが、「必ずもらえる」ものではなく、要件確認と申請書類の整備が必須です。ここは私たちも慎重にご案内する部分です。
顧問契約・スポット契約・給与計算アウトソースの使い分け
社労士との関わり方は、大きく3つの型があります。
社労士との3つの関わり方(顧問/スポット/給与計算アウトソース)
顧問契約
スポット契約
給与計算アウトソース
選び方の3つの判断軸
- 継続的な相談ニーズがある → 顧問契約
- 初期整備を一括で終わらせたい → スポット契約
- 月次業務の負荷を軽くしたい → 給与計算アウトソース
「まずはスポット相談で現状を診てもらう」→「必要な整備に着手する」→「運用が回り始めたら顧問契約で継続支援」——という段階的な関わり方をご希望される経営者様が多い傾向にあります。
「先に整える」ことで避けられる後戻りコスト
繰り返しになりますが、労務は「先に整える」方が結果的にコストが低く、経営者様の時間を守ります。事業のスピードが最優先のスタートアップにとって、労務の後戻り作業に代表様が数日〜数週間拘束されるインパクトは、想像以上に大きいものです。
私たちが「深く長く関わる」ことを大切にしているのは、こうした後戻りコストを最小化し、経営者様に「本業に集中できる」時間を返すためです。「人を活かして、経営に力を」——これが私たちの目指す姿です。
スタートアップの労務でよくいただくご質問(FAQ)
最後に、スタートアップ経営者様から特にご相談の多いご質問を、ご紹介します。
Q1. 従業員がまだ1人もいない段階でも、労務対応は必要ですか?
役員報酬をお支払いされている場合、健康保険・厚生年金への加入義務が原則発生します。また、1人目の雇用開始と同時に労働保険・雇用保険・所得税の源泉徴収などの手続きが動き出しますので、採用が決まった段階で並行してご準備いただくことをおすすめします。
Q2. 10人未満のスタートアップでも、就業規則は作成した方がよいですか?
労働基準法第89条上の届出義務は常時10人以上の事業場に課せられており、10人未満で法的な作成義務はありません。ただし、労働時間・休日・懲戒などのルールが文書化されていないと、トラブル時に会社側が守るべき基準を示せず不利になる場面が出てきます。10人未満でも簡易版の就業規則をご用意いただくことをおすすめするケースが多いです。
Q3. 業務委託と雇用契約を混在させて働いてもらっても問題ないですか?
契約書の形式ではなく「実態」で判断されます。指揮命令や勤務時間の拘束など雇用の要素が強い場合、業務委託契約でも実質は雇用と判断され、社会保険・労災の遡及適用・追徴のリスクが生じます。混在する場合は、実態に即した契約設計をご一緒にご検討いただければと考えています。
Q4. 顧問契約を結ぶタイミングの目安はありますか?
「初雇用が決まったタイミング」または「シリーズA調達を検討し始めたタイミング」が、よくご相談を受ける時期です。ただし規模や状況によって最適なタイミングは異なりますので、まずはスポットでのご相談から始めていただくことも可能です。
Q5. 税務相談や法律相談も対応してもらえますか?
税務は税理士、法律相談は弁護士の業務領域となるため、私たち社労士が直接お受けすることはできません。ただし、労務に関連する部分については、必要に応じて信頼できる税理士・弁護士と連携しながら、経営者様が窓口を分散しなくて済むようサポートいたします。
まとめ|労務基盤を整えて、本業に集中できる会社へ
スタートアップの労務は、事業の伸びを止めないための土台です。1人目の雇用の瞬間から法的義務が動き始め、シリーズA以降の資金調達やIPOでは必ず精査されます。だからこそ、先に整えるほど後戻りコストが減り、経営者様が本業に集中できる時間が生まれます。
私たちKT社会保険労務士事務所は、経営者様の隣で一緒に考える伴走者として、細やかに寄り添うサポートを大切にしています。「先生」として上から指導するのではなく、コンシェルジュのような対等な関係で、事業のフェーズに合わせた最小の労務整備をご一緒に描いていきます。
ご不明な点や、ちょっとした疑問があれば、お気軽にご相談ください。どんな些細なことでも、まずはお話をお聞かせいただければと思います。KT社会保険労務士事務所トップページでは事務所の考え方・事業内容もご紹介しています。「人を活かして、経営に力を」——この言葉を、経営者様と一緒に形にしていく伴走パートナーとして、お待ちしています。










